東京高等裁判所 平成2年(ネ)4399号 判決
二 皆勤手当の算定に際して、有給休暇の取得を欠勤として取扱う措置と労働基準法三九条の関係につき、従前の行政通達(昭和五三年六月二三日基発第三五五号)では、「精皆勤手当の額の算定に際して、労働基準法三九条に規定する年次有給休暇を取得した日を欠勤として、又は欠勤に準じて取扱うこと(不利益取扱い)は直ちに法違反があるとは認めがたいが、年次有給休暇の取得を抑制する効果をもつものであり、同法三九条の精神に違反する。」「上記の不利益取扱いを定める就業規則の規定は年次有給休暇を取得したことによる賃金の減少の額の程度、年次有給休暇の取得の抑制の程度等のいかんにより、公序良俗に反して民事上無効と解される場合がある。」とされていたが、昭和六二年法律九九号による改正により追加された労働基準法一三四条は「使用者は、第三九条第一項から第三項までの規定による有給休暇を取得した労働者に対して、賃金の減額その他不利益な取扱いをしないようにしなければならない。」と規定した。
したがって同条施行後は、従前、年次有給休暇を取得したことにより賃金の一部である皆勤手当を減額・不支給にする取扱いとしていた使用者は労使交渉に基づき可及的速やかに右法条の趣旨に従って取扱いを是正するべき法律上の義務を負うことは当然であるが、同条はその規定の位置、文言、沿革等に鑑みると、従前の通達の趣旨を明文化した訓示規定であると解されるのであり、右規定の趣旨に則った是正が行われるまでの過程において、労使間の協定による従前からの取扱いが過渡的になお継続されている間における皆勤手当の減額・不支給は、その程度いかんに拘わらず、労働基準法一三四条が禁ずる不利益取扱いであるとして直ちに民法九〇条により無効であると断ずるのは、労使関係の自主的発展、安定化の見地から妥当ではなく、その減額の程度、その減額により労働者が年次有給休暇取得を抑制される程度、使用者が従前の取扱い方法を同法条の趣旨に従って是正するために行った努力等を総合的に考慮して、有給休暇の取得を著しく困難にしこれを容認したのでは有給休暇の制度を設けた趣旨が失われると認められる場合に限り民法九〇条により無効となるものと解するのが相当である。
三 これを本件につきみるに、《証拠》によると、次の事実を認めることができる。
1 通常のタクシー会社の経営収入の大部分は、乗務員が乗客より支払を受ける運賃であって、乗務員の勤務の成果が当該乗務員の営業収入に明確に反映されるため、タクシー会社の賃金体系には、多かれ少なかれ歩合給が導入されている。またタクシー会社の中には、自動車の実働率を高める必要があるので、乗務員の出勤率が低下するのを防止するため皆勤手当の制度を採用する会社もある。
控訴会社は昭和一四年三月に設立され、現在の従業員は約一〇〇名程度のタクシー会社であるが、昭和三八年ころには労使紛争が多発して経営に支障を来した。また控訴会社では、一台の自動車に対し二名の乗務員を割り当て、その乗務予定を月毎の交番表で定めているが、タクシー営業の円滑な運営を図るためには交番表どおりの出勤を確保することが重要視されてきた。
しかし控訴会社では、すべて歩合給の賃金体系を採用すると、乗務員の生活が不安定になり、また乗務員が闇雲に営業収入を挙げようとする弊害を生ずる虞れもあるので、それらを防止し、乗務員の生活を安定させて労使関係を安定化するため、本人給(日給、固定給)及び能率給(歩合給)を二本柱とし、これに加えて時間外手当、深夜手当、迎車手当などの諸手当により構成される賃金体系を採用し、日給部分(定額部分)の比重を高めて、乗務員が無理な運行を強いられないように努めてきた。さらに昭和四〇年ころからは乗務員の出勤率を高めるため、ほぼ交番表どおり出勤した者には、その報奨として皆勤手当を支給することにした。ただし皆勤手当の額は、昭和六三年三月二一日以降平成元年三月二〇日までは月額三一〇〇円、平成元年三月二一日以降は月額四一〇〇円と低額にしていた。なお控訴会社では、年次有給休暇を取った場合には、労働協約三四条に従い標準報酬日額が支払われている。
現在静岡県下のタクシー会社のなかには、すべて歩合給の賃金体系を採用している会社があり、また、精勤手当として無欠勤者に一万一八〇〇円、一日欠勤した者に五〇〇〇円を支給し、二日以上欠勤した者には支給しないとする会社や、予め定められた勤務日数を完全に勤務した者にのみ精勤手当七〇〇〇円を支給することにしている会社もある。
2 被控訴人は、右皆勤手当の制度が確立した後である昭和五〇年七月一六日控訴会社に運転手として入社した。被控訴人の本人給(日給)は昭和六三年三月二一日以降平成元年三月二〇日までの間は勤続一二年で六一四七円、平成元年三月二一日以降は勤続一三年で六三四七円である。能率給については、一か月の総営収額より足切額四〇万六五〇〇円を控除した残額の三五パーセントとされているが、被控訴人は昭和六三年当時、一日当り約二万円の水揚げがあったので、月に二〇日以上稼働した場合には、能率給が支給されてきた。
被控訴人の昭和六三年五月、同年八月、平成元年二月、同年四月、同年一〇月における、有給休暇取得日は別表(一)欄、現実の給与支給額、そのうちの年休手当額、皆勤手当不払額は別表(二)欄記載のとおりであり、控訴会社における皆勤手当の最大不支給額及びその額の右現実給与支給額に対する割合は別表(三)欄記載のとおりであり、最大でも一・八五パーセントである。
3 控訴会社における平成元年及び平成二年の有給休暇取得の実情は、別紙「過去2年間有給消化表」の実取得日数欄記載のとおりであり、昭和六二年八月から平成三年二月までの被控訴人の有給休暇取得の実情は、同じく別紙「鈴木嘉雄有給休暇消化表」の実取得日数欄記載のとおりである。右各実取得日数は同表記載の各「控訴人主張日数」欄記載の数と相違があるが、それは、一月を前者は前月二一日から当月二〇日までとし、後者は当月一日から当月末までとして期間計算が異なることと、「実取得日数」欄の数は控訴会社が有給休暇を買い上げた分を除いていることによる。
4 被控訴人が加入している沼津交通労働組合は控訴会社との間に、昭和六二年の労働基準法の改正により追加された同法一三四条が施行された昭和六三年四月一日の後である同年五月に、同年度の賃金に関する協定を締結し、さらに平成元年五月に同年度の賃金に関する協定を締結したが、右各協定で、皆勤手当の減額、不支給事由とされている「欠勤、遅刻、早退、外出」には有給休暇を含めるとの了解で運用されてきた。しかし控訴会社はその後の労働基準監督署の指導に従い、労使間の交渉で、同年一一月一三日組合との間に、同月二一日からは皆勤手当の計算に有給休暇を含めないことを確認し、他方組合は、それまでの皆勤手当の減額、不支給分につき、組合としては請求しないこととした。なお控訴会社では、平成三年五月賃金体系を同一にすることにした伊豆箱根交通が皆勤手当の制度を採用していなかったので、皆勤手当を廃止し、その分は基本給を引き上げることにした。
現在、控訴会社の従業員である組合員の中で、過去の皆勤手当の減額、不支給分について組合の意思に反し控訴会社に対し支払を求めているのは、被控訴人一人のみである。
四 以上の事実によると、次のとおり認めることができる。
1 沼津交通労働組合は平成元年一一月一三日、控訴会社との間で、同月二一日からは皆勤手当の計算に有給休暇取得日を含めないが、それまでの有給休暇取得を理由とする皆勤手当の減額、不支給分については請求しないことを合意した。被控訴人は、組合が右合意をするについては、組合内部の民主的手続が尽くされず組合員の了承が得られていないと主張するが、前記甲第六号証によると、沼津交通労働組合執行部では、右労使合意直後の同月二二日及び二三日の明番集会で組合員に対して右合意内容を説明して了解を求め、同月二四日の執行委員会で、組合員の一部に反対意見はあるが、委員長の責任で組合員大半の了解が得られたものとした経過が認められるのであって、前記三4のとおり、現在、組合員の中で、過去の皆勤手当の減額、不支給分につき支払を求めているのは、被控訴人だけである事実からも、右労使合意は、組合員の大方の意思に基づくものと認めて妨げない。また被控訴人は、右労使合意は労働基準法一三四条に違反するから同法一三条により無効であると主張するが、法は、有給休暇を取得したことにより賃金の一部である皆勤手当を減額、不支給にする取扱いの是正につき、労使間の自主的交渉による解決を期待しているのであり、将来に向かって取扱いを是正することを確認した前記労使合意を労働基準法に違反するものということはできない。
しかしながら、組合は使用者に対し組合員である労働者の既得の賃金請求権を放棄できるわけではないから、組合が控訴会社に右合意をしたからといって、組合員である被控訴人が組合の行った右合意内容に拘束されそれ以前の皆勤手当減額分の請求をできなくなるものではない。したがって、組合と控訴会社間の右合意に組合員である被控訴人は拘束されるから被控訴人の本訴請求は許されないとする控訴人の主張は理由がない。
2 乗務員が取得する運賃が経営収入の大部分を占めるタクシー会社の営業形態によれば、控訴人がタクシー営業の円滑な運営を図るため賃金体系の中に報奨金的性格を有する手当を採用することが不合理であるとはいえない。前記三1、2の事実によると、控訴会社が昭和四〇年ころから平成三年四月まで採用した皆勤手当は、控訴会社が定めた交番表(勤務予定表)とおり出勤した者に対し、最大限昭和六三年三月二一日以降は月額三一〇〇円、平成元年三月二一日以降は月額四一〇〇円が支払われたもので、その支給条件や、金額が本人給(日給)に比しごく低額であることからみると、精勤者に対して報奨の意味で賃金に加算される手当であると認めることができる。乙第五号証の一ないし五によると、皆勤手当が基準内賃金として取り扱われている事実が認められるが、そのことが右認定を左右するものではない。
しかして、本訴で控訴人が請求する減額、不支給となった皆勤手当の金額は、最大で昭和六三年度で月額三一〇〇円、平成元年度で月額四一〇〇円であり、当月の給与支給額との対比でみると、最大でも現実の給与支給額の二パーセント弱に過ぎない。また前記三3の被控訴人の有給休暇取得の実情によると、被控訴人は昭和六二年八月から平成三年二月までの四三か月間に四二日の実有給休暇を取得し、それ以外の有給休暇九日分については被控訴人の任意の意思に基づき、控訴会社が買い取っているから、被控訴人の有給休暇取得がとりたてて低率であったと認めることはできない。
3 以上を総合考慮すると、本件皆勤手当の減額、不支給が被控訴人の有給休暇取得を事実上制約する抑制的効果を持っていたとまでは認めることができず、他方、控訴人はその後組合との間の自主的な労使交渉に基づき労働基準法一三四条に従い皆勤手当の支給における有給休暇取得の取扱いを是正していることが認められるから、控訴人が被控訴人に別表(二)欄「皆勤手当不払額」記載のとおり合計一万五九五〇円の皆勤手当を支給しなかったことをもって直ちに公序良俗に反して無効であるとすることはできないと解すべきである。
(藤井 伊東 水谷)